新潟市秋葉区新津の歯科医院
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右下の治療を始めて何か月が経っても全く動く兆しはありませんので、口腔外科の先生に親知らずを脱臼してもらい、ぐらぐらの状態にしてからまた力をかけるようにしました。脱臼してもらった時には自分で触ってもわかるくらいぐらぐらでしたが、すぐにその動きは静まり、しばらくするとまた以前のように動きが完全に止まったようでした。
むし歯体験記で書き綴ったように、わたしの大事な歯は2本もなくなってしまいました。若かった頃にはそれは思いもつかないことでした。フロスと歯間ブラシも朝昼晩使い、無理な歯の使い方もしていなかったのですが、長い人生何があるかわからないのは口の中もでした。
歯を失った時の治療は、一般的には欠損した歯の両隣の歯を削って繋いだ冠(かぶせもの)を入れるブリッジというやり方か、欠損した歯の本数が多い場合には取り外し式の入れ歯にすることになります。
ただ、親知らずがある人の場合には、親知らずがむし歯や歯周病になっていないきれいな状態であれば、悪い歯を抜いたあとその場所に親知らずを移植する方法があります。
割れている根の周りは慢性炎症がおきています。歯周病やむし歯などの化膿や鼻の炎症なども慢性炎症ですが、これにより全身に炎症物質がまわり、悪影響を引き起こすことが基礎と臨床医学の最近のトピックになっているようです。
歯の治療で根にヒビが入っていますと言われたことのある人はこのブログを頷きながら読まれていると思います。根にヒビが入ってくると根の表面と歯肉のくっつきがその部分だけ悪くなってしまいます。姑息的な手段としてその隙間に細い歯間ブラシを入れて、細菌のかたまりを崩し、消毒薬で洗うというやり方があって、私もそれを日々続けていました。
そういえば、脳研究の権威の先生が講演会でこんなことを仰っていました。痛みの世界は複雑で、痛みの研究をするなら研究者としての一生を棒に振る覚悟をするか、それとも自分をごまかすかとのことでした。
本で読みましたが、痛みは記憶されるそうです。たとえば、親知らずを抜いたあとで痛みが出てから痛み止めを飲んでも効きにくいことや、戦争で手足を失った人がないはずのところが痛いと訴えるなど、睡眠もそうですが痛みは分からないことの多い分野ですね。
歯が外れたことがある人なら分かると思いますが、あれはあまり気分の良いものではないですし、何で旅行中とか楽しいときを見計らったように外れるんでしょうね。
その歯は15年ほどもごまかしごまかし使ってきましたが、いよいよ治療が必要になってしまいました。2000年に歯科用顕微鏡(マイクロスコープ)を導入し、そのすばらしさを十分に感じていましたので、その歯の治療をしてもらうのはもちろん顕微鏡を使ってと思っていました。そこで白羽の矢が立ったのは友人でほぼ同じ時期に顕微鏡歯科にのめりこんだM先生でした。
母の実家が旧新津市にある畳やさんだったことで、にいつ祭りには毎年行きましたし、新津高校に通いました。大学受験は1期校、2期校のある頃だったので高校時代はまんべんなく履修が必要でした。数学の難問を解くのに夢中で、気がつくと暗闇の中でペンを走らせていたこともありました。
その一方では興味のない科目の試験は辛く、成人してからもしばらくは夢でうなされることがありました。担任からも卒業式には「渋谷、宅浪だけはするなよ」と、まだ発表にもなっていないうちから言われるほど、考えの甘い無謀な受験生でした。そんなわけですから、現役合格できるはずがありません。予定通りの浪人生活を東京で送ることになって自分が井の中の蛙だったことを思い知りました。
ある時、自分の歯の色が黄色いのが気になって辞典で調べてみると、歯の漂白には過酸化水素水が効くとあったので家にあるオキシフルを使ってみたことがあります。また、今のスウィーツは上品な甘さでとても美味しいですが、昔の甘ものはどこまでも甘かったです。でも、バタークリームの味は懐かしく何年か前に食べることがあって感激でした。甘もの好きならどうぞむし歯ワールドへでしたね。
わたしの「歯いしゃ」デビューはいつだったのだろうか。
子どもの頃を振り返ると、病院というとまっ先に思い浮かぶのは「涙」です。でも、歯科医院で押さえつけられて治療を受けたり、治療は無理ですとさじを投げられたりした記憶はないし、親から言われたこともありません。乳歯はいずれ永久歯に生えかわる歯なので治療は必要ないというのがわたしの子ども時分には世間の常識だったので、よほどの痛みがなければわたしを歯科医院に連れて行かなかったのかもしれません。
それに、わたしの住んでいた近所には歯科医院はなく、橋を越えて隣町まで行かなければならなかったですし、予約制というのもなかったので何時間も順番を待って治療を受けるというのは大変な労力だったのでしょう。
今でこそむし歯がある子どもは少数派になりましたが、平成になってからもしばらくの間は銀歯があったり、俗に言う「みそっ歯」の子どもを見かけるのはざらでした。例にもれず歯科医である私も、子どもの頃は夏休みのたびに歯医者通いをしていましたし、歯が痛くて眠れない思いをしたことは何度もあります。
よく人からは歯医者さんはむし歯にならないのですかとか、むし歯になったらどうするのですかと聞かれることがあります。例えば私の息子は歯医者になりたてですが、むし歯はありましたし、それは私が治療しました。
言い訳みたいですが、両親ともにそこそこのむし歯があり、そうしつこく歯ブラシをするように口うるさく言ったり、とりたてて食事の注意をしたわけではありませんが、神経を抜くほどの大きなむし歯にならずにすんでいます。そんなわけですから、私の息子は歯の痛みを経験したのは親知らずを抜いた時しかありません。それが歯科医としてどうなのかは別な機会に話をゆずることにしましょう。