2023.12.26 歯医者のむし歯体験記〈矯正編〉vol.01

 むし歯体験記で書き綴ったように、わたしの大事な歯は2本もなくなってしまいました。若かった頃にはそれは思いもつかないことでした。フロスと歯間ブラシも朝昼晩使い、無理な歯の使い方もしていなかったのですが、長い人生何があるかわからないのは口の中もでした。

 歯を失った時の治療は、一般的には欠損した歯の両隣の歯を削って繋いだ冠(かぶせもの)を入れるブリッジというやり方か、欠損した歯の本数が多い場合には取り外し式の入れ歯にすることになります。

 ただ、親知らずがある人の場合には、親知らずがむし歯や歯周病になっていないきれいな状態であれば、悪い歯を抜いたあとその場所に親知らずを移植する方法があります。実際に、そういった患者さんには移植という方法があることをお話して同意が得られれば、新潟大学の歯の移植を数多く手がけている先生に紹介して、いい結果が出ており患者さんにも喜ばれています。
 ただ、わたしの場合には移植がうまくいく可能性のある親知らずがなかったのです。昔はあったのですが、その歯は30年以上前に親知らずだから要らないということで抜いてもらっていました。その当時には、歯の移植という治療法は一般的ではありませんでした。
そのような悔やまれることもありましたから、わたしと同じ憂き目にあっている患者さんや将来的に歯を失う心配のある患者さんには移植の話を分かりやすくするようにしています。

 それから、移植の他にはインプラントもあります。確実性のある治療ですが、わたしが失ったのは一番奥の歯なのでインプラントをすることはあまりありません。なくなったらそこはそのままのことがほとんどです。

 そんな訳で移植もインプラントも治療法として考えられない口の状態でした。しかし、歯を失ったところに歯を入れる方法がもう一つありました。運のいいことになくなった右下の奥歯のその奥には真横に生えた状態の、まだ出てきていない親知らずがありました。レントゲンで調べると根はしっかりしており、指で輪を作ったような形で一回抜いてから移植するのはとても難しいことが明らかでした。しかし、矯正(歯並び)という治療法でその歯を正しい位置に動かして、咬み合わせに参加させることは理論的には可能でした。

 歯並びの治療は歯があれば何才になっても可能ですし、移植と比べての大きな利点は歯の神経を残ったままに出来ることです。私がしようとしている歯並びの治療は口の中の歯を全部動かすものではなく、一番奥に生えている親知らずだけを動かす部分的な治療になります。その治療で親知らずをその手前の歯のところまで抜いた歯一本分のスペース分だけ前に動かしてくるときには綱引きと同じ力がかかります。動かしたい歯は親知らずだけですので、歯にかける力のコントロールがとても難しく、動かしたくない歯が動いてしまう危険が常に伴うので、互いに引っ張り合う力をどうコントロールするかが治療のポイントになります。そのような力のコントロールが難しいケースではインプラントを固定源にする治療法もあります。

 インプラントは骨と硬く結合してびくともしないです。一方、歯と骨は歯根膜という線維でつながっているので、わずかに動くのは生理的なことで異常ではありません。ですから、動かないインプラントが加勢してくれれば百人力です。今までは力のコントロールが難しかったケースもインプラントの助けを借りることで、治療期間も短く良好な治療結果が得られています。

 歯を動かすときに一番動かしやすいのは、歯を引っ張り上げることです。次に易しいのは傾きながら横方向に引っ張ること、そして難しいのは歯をめり込ませるようにしたり、歯の頭のほうではなく、根の先のほうだけを動かすことです。
 わたしの場合もインプラントを使うことで、動かすのが手強い親知らずをコントロールできるかもしれません。ただし、歯が骨と癒着している場合もあって、この時は力を加えてもびくともしませんし、その場合にはインプラントでも太刀打ちできないようです。癒着しているかどうかはレントゲンでも予想できるようですが、最終的な診断は力を加えてみないとわからないです。

 しかし、癒着していても必ずできないということではなくて、わざと歯を抜く一歩手前の状態に脱臼させる方法があります。ただ、せっかく脱臼しても時間が経つと、また癒着するらしいですし脱臼操作の時にやりすぎると歯の根の組織が痛んでしまうことがあり、確実に成功が保証される方法ではないようです。わたしと同じ状態の患者さんがいらしても、それでもやってみたいという方はごく少数かと思います。

 わたしの場合は患者さんに矯正治療を行っていることもありますし、矯正治療がどういうものか体験してみたいという気持ちもありましたし、そのままにしておいては使える価値のない親知らずが歯としての役目を発揮することができれば、こんなに嬉しいことはありませんので、インプラントを用いた部分的な歯並びの治療を始めることにしました。