2017.05.24 歯医者のむし歯体験記 vol.04 「大学時代」

 母の実家が旧新津市にある畳やさんだったことで、にいつ祭りには毎年行きましたし、新津高校に通いました。大学受験は1期校、2期校のある頃だったので高校時代はまんべんなく履修が必要でした。数学の難問を解くのに夢中で、気がつくと暗闇の中でペンを走らせていたこともありました。
 その一方では興味のない科目の試験は辛く、成人してからもしばらくは夢でうなされることがありました。担任からも卒業式には「渋谷、宅浪だけはするなよ」と、まだ発表にもなっていないうちから言われるほど、考えの甘い無謀な受験生でした。そんなわけですから、現役合格できるはずがありません。予定通りの浪人生活を東京で送ることになって自分が井の中の蛙だったことを思い知りました。
 1浪など「こわっぱ」なんです。1年に1度の入学試験を待つためだけに本来なら合格できる実力を維持している人のなんと多かったことでしょう。志を持って上京していなければきっと押しつぶされていたでしょう。幸いにも浪人は1年で済み、鹿児島大学歯学部に入学することができました。

 20才前の若者には自分を変えるためにも、そして夢が拡がるように出来るだけ遠くで生活したいという想いがありました。新潟から1000kmも遠く離れた鹿児島での生活は期待した以上に楽しく、充実したものでした。  
 心残りだったのは離島や山にあまり行かなかったことくらいです。鹿児島大学は総合大学ですから教養課程を2年間本学で学び、残りの4年は専門課程を歯学部病院のあるところで勉強します。解剖や生理学など医科を含め、基礎科目からみっちり勉強しましたから知識は十分詰め込まれていきました。自慢でもなんでもありません。それには真面目に勉強せざるをえない理由がありました。

 鹿大1期生での入学でしたから、先輩がいません。自由な校風は良いのですが、試験問題の傾向もわからず過去問もありませんから試験問題の的をしぼれません。教授の前任地での噂を頼りにするのは危険ですのでまんべんなく勉強するしかありませんでした。広い出題範囲の膨大な量を書いて覚えるのは無理ですし、細菌学の教授は君達はパラレルに勉強できるだろうからと他の試験と日にちが重なったり、また20km一緒に走らないと受験資格をあげないという病理学の教授もいたりで、想い出は強烈です。

 そういうことで歯科の知識は十分につき、むし歯や歯周病について細菌が原因であるとわかっていましたので、口の中をきれいにしておけば将来自分がそれで苦しむなんてことは考えられないことでした。そのため、口の中を常にきれいにすべきというモチベーションはしっかりとうえこまれました。おかげで8020達成可能でしょうが、長い人生では何が起こるか分かりません。まさにこのブログの主題はそこにあります。

 その当時は最高学年の病院実習では指導教官の下、実際に患者さんを受け持って治療をさせていただいていました。しかし、学生に治療を任せて下さる方はそう多くはありませんので、学生相互で治療し合っていました。このブログの主人公になる左上の奥歯は子どもの頃に詰めた歯の治療を友人にやり変えてもらったものです。まだ、国家試験に合格していない学生ですし、いきなり生身の人間の歯を削ることはできませんから、自動車教習所のように座学をしてマネキン実習をしてからになります。
 その学生時代にむし歯の治療をした歯は一番奥歯だったこともあって形も作りにくく、経験を積んだ歯科医にとっても難しい治療だったと今では思っています。むし歯の治療で金属の歯を入れるのは形採りをして歯科技工士さんが作ったものをセメントを用いてセットするわけですが、むし歯でもないのに歯は外れやすく外れた歯を自分でつけたことが何度もありました。